映画連峰

本物と贋物が問題になる世界と 良いと悪いが問題になる世界は 別なんだと教えてくれた映画

舞台は、堺市。
骨董屋と陶芸家が手を組み
以前騙された同業者に
一泡ふかせるお話。

今回は、
本物と贋物が問題になる世界と
良いと悪いが問題になる世界は
別なんだと教えてくれた映画
「嘘八百」について。

利休の茶器を巡っての
騙しあいを中心にストーリーは進む。

まずは、骨董屋(中井貴一)と
陶芸家(佐々木蔵之介)が出会うのだか、
その出会いからして、偽り。

骨董屋は、骨董の買取査定に出かける。
そこに本物の利休の茶器の箱があり、
その中身は、腕のある
陶芸家が作った贋作だった。

が、時すでに遅しで、
骨董屋は贋作を100万円で
買い取ってしまった。

途中気づいて、
陶芸家に会いにいくも藻抜けのから。

どうにか居場所をつきとめると、
陶芸家は贋作作成チームを
結成して、贋物作りに励んでいた。

この時点で、
陶芸家としての
役割を放棄していて嘘八百。

骨董屋は骨董屋で、
あるはずのない利休の器を
さも歴史に埋もれていたかのような
ストーリーを作り上げる。

そのストーリーは自然で、
学芸員や、昔は騙された骨董屋も
納得するストーリーに仕上がる。

その自然なストーリーにより、
1億800万円を騙し取ることに成功する。

さもありそうなストーリーを
作り上げる詐欺師のようなやり方も、
骨董屋としての
役割を放棄していて嘘八百。

とにかく、嘘に溢れた話なのだが、
その嘘が100%嘘かと言えば、
そうとも言えないところに
本物と贋物を見分ける難しさが
あるのだろう。

骨董屋は、
20秒で本物を見抜くため
20年経験を積んできた、
その俺が一瞬でも騙されたんだから、
もっと自信を持てと、
陶芸家に言う。

本物偽物が問題になるのは、
本物がいい偽物がいいという
要請があるから問題になってくる。

劇中で、メトロポリタン
美術館館長の話が出てくる。
偽物をつかんでしまう条件には

ニード(必要)
グリード(欲)
スピード(緊急)

がそろった時という話が出てくる。

本物か偽物かが問題になるのは、
美術館の運営だったり、
企業の税金対策だったり、
経済に関わっていることが多い。

経済の世界は、
コントロールできないものを、
できるだけコントロールしようと
している世界でもあるので、

焦っている状況が生まれやすい。
そこに、詐欺師のつけいる隙がある。

逆に言えば、焦っていなければ、
正確に判断できることを意味する。

何を正確に判断するかと言えば、

良いと悪い
本物と偽物

それの擦り合わせに、
時間がいるという話。

ただ焦っていると、
本物か偽物かばかりが
重要になって、
良い悪いについては
置き去りにされる。

その辺りが、
映画では、
騙された骨董屋をだまし返す過程で
わかりやすく描かれている。

本物か偽物かは、
経済面だけではなく、
政治面からも問題になってくる。

歴史を経た本物が
価値を持ちすぎて、政治的な力で
博物館に収蔵されることになる。

だからこそ、
埋もれていた利休の器という、
ありそうでなかった
歴史ストーリーが意味を持ち出す。

現状のストーリーを否定するような
ストーリーではダメで、
肯定、あわよくば、補強するような
ストーリーによって作品は
価値を増すことなる。

そのようなストーリーの出現などにより、
博物館に収蔵される。

もちろん、良いもので
価値のあるものだから、
収蔵されるのはわかる。

けれども、本物を博物館に収蔵してしまうことで、
その場所でこそ輝いていたのに、
本来の輝きを失ってしまうことがある。

逆に、本物の代わりに、
本来、本物があった場所に、
レプリカが置かれたりする。

確かに、そのレプリカは
本物から見れば偽物と言える。

けれど、その場所、その時を
活かす作品として
そこに存在しているのならば、
本物を超えているとも
言えなくもない。

それは間違いなく
良いものなのだ。

ラストで、
陶芸家が、利休の器と
間違えられるほどの出来の器を使って、
また詐欺を働こうとする。

だけど、骨董屋は、
それを止める。

時代を経なくても、
十分いい器だから
自分で勝負しろという。
そこで映画は終わる。

本物と偽物が問題になる世界と、
良い悪いが問題になる世界は
別なのだと教えてくれた。

本物か偽物かばかりが
問題になる嘘八百の
世界ではなくて、

陶芸家が利休の器を超えるものを
作ろうとしたように、
良いものを作ろうよ
と言われている気がした。

お金に目がくらんで、
何かを産み出す行いが
鈍り出したときに、
もう一度この映画を観て、

自分が良いと思うものを
作り出す原動力にしようと思う。