映画連峰

認識した世界が事実と違っても、 その世界自体に強力なパワーがあることを教えてくれた映画

舞台は、昭和60年。
刑事が身元不明の死体の謎を追い
犯人にせまっていくお話。

認識した世界が事実と違っても、
その世界自体に強力なパワーがあることを教えてくれた映画
「砂の器」について。

主人公の今西 栄太郎(丹波哲郎)が、
わずかな手がかりをもとに、
秋田や出雲、いろいろな場所に
飛び回る。

飛び回ると言っても、
ほとんど汽車移動。

駅での乗り換えの場面も多く、
捜査が移動だけでも大変なのが
伺える。

その大変さの数%感じるだけでも、
徐々に謎にせまっていく感じを
追体験することができる。

そういった、
刑事物として観ることも
もちろんできるし、
十分すぎるほど楽しめるけれど、

なぜ、砂の器という
タイトルなのかという部分について
考えてみたい。

砂の器は、
もちろん、もろい。

それと同じように、
殺人を犯した犯人の存在自体が
非常にもろいものだった。

というのも、
主人公が、謎にせまっていった結果、

犯人のピアニストは
戸籍自体が偽り。

本当は、秋田で、生まれ、
親がハンセン病になったことで、
村から追放。

一緒に流浪の旅を続けて、出雲へ。
そこで親切な警官に助けられる。

警官は、伝染病である親を
隔離された病院に行かせる。

そのことで、
親と子は離ればなれになってしまう。

警官は、残された子どもの
面倒をみる覚悟でいたが、
子どもは、逃亡して、行方知れずになる。

子どもは、
秋田から出雲への旅の
思い出だけをもって、
心の中で「父は死んだ」と
決めたのだろうと思う。

そして、その思い出が糧となり、
ピアニストとして大成する。

ピアニストは、
映画の後半で、自分で作曲した
「宿命」というピアノ曲を
オーケストラと共に演奏する。

その演奏に合わせて
過去の映像が流れるのだが、
本当に素晴らしい。

本当に素晴らしい作品は、
きっと、この過去の映像のような
バックグラウンドを
すべて織り込んだものに、
宿るのだろう。

そして、「宿命」という
曲のタイトルのように、
そのバックグラウンドに宿った
ものが、ピアニストにとっての
命だった。

だから、だからこそ、
ピアニストは、元警官を
殺す必要があった。

元警官は、旅先で、
行方知れずになった子どもが、
ピアニストとして
活躍していると知る。
そして、連絡を取り、再会する。

そこでピアニストは、
警官から、父親は生きていると、
聞かされる。

死んだものとして、
生き抜いてきたピアニストにとって、
その事実は、
アイデンティティの崩壊を意味する。

でも、元警官は、
ピアニストが父親に会わないと言う
意味がまるでわからない。

わからないから、
無理にでも会わせようとしたことで、
ピアニストに殺されてしまった。

砂の器は慎重に持たないと
崩れさってしまう。

相手を想った行動だとしても、
その人にとっては、
アイデンティティの崩壊を
意味するくらい深い意味を
持つ場合もある。

その踏み込んではいけない領域に、
無理に踏み込むと、
砂の器は崩れさってしまう。

親や子ども、友人などに対して
絶対に無理にでも、
そうさせた方がいいと思うような
出来事に遭遇した時に、
またこの映画を観て、

あまりに強引すぎると、
相手は逆に心を閉ざし、
場合によっては激しい怒りによって
制裁を受けるということを
思い出そうと思う。