映画 羊の木 感想(ネタバレ考察)世の中が論理や明確なルールだけで 成り立っているわけではないと教えてくれた映画

舞台は、とある地方都市。
刑期を終えた受刑者たちの
社会復帰と過疎化対策を兼ねた
プロジェクトをめぐるお話。

今回は
世の中が論理や明確なルールだけで
成り立っているわけではないと
教えてくれた映画「羊の木」について。

この映画の評判として
最後が微妙だとか言われている。

いきなりネタバレすると、
のろろ様という、
町の守り神?の巨大な像が、
海沿いの岩壁にたっていて、

その、のろろ様の首が、崩落。
海に落下して、その下にいた
連続殺人犯が死ぬ。

たしかに、そんなバカな
という終わり方ではあるが、
それこそが、
この映画の一番重要な点
なんじゃないかと思っている。

羊の木の伝説が
どこかの国の、どこかの地方に
あるのだろうけれど、
その伝説が意味するところは
自分にはわからない。

けれど、文字だけ見ると
羊のなっている木なわけで、
存在するわけがない。

木には実がなるもので、
羊はならない。

そのならないはずの羊が
なっているというのは、
ありえないということの
例えなのかもしれない。

つまり、人の本質は、
そう簡単に変わりはしないという
ことなのかもしれない。

町に移住してきた受刑者は、
皆、殺人の罪で服役していた。

劇中でそれぞれが
殺人を犯した理由などが
明らかになっていくのだが、

根っからの殺人者は、
一人しか出てこない。

その他の受刑者は、
半分、不可抗力な殺人だったり、
正当防衛に近かったり、
衝動的に殺してしまったりしていて、

人間としての性質で、
殺人を犯したわけではない。

本来、殺人など犯すはずもないのに
犯してしまったという部分に、
羊が木になるような
ありえなさがあるのだと思う。

だけど、一人だけ、
そのありえないことが、
木に実がなるような自然さで
行ってしまう人物がいる。

この人物が、連続殺人犯で
最後に海でのろろ様に
つぶされて死ぬ。

連続殺人犯は
主人公と一緒に海に飛び込み
とある伝承を試すことで、
審判を下してもらおうとする。

伝承とは、
生け贄が二人同時に海に身を投げると
一人は助かり、一人は死ぬ。
死んだ方は、死体すら
あがらないという言い伝えだ。

なぜ連続殺人犯は、
飛び込んだかと言えば、
人の世界にお手上げだったのだろう。

自分は自分らしく
生きているだけで、その過程で
人を殺してしまうこともある。

治すとか治さないという話ではなく
自分の性がそうしてしまう。

なので、
行いが悪いと言われても、
困ってしまう。

というわけで、人が定めた
法律や罪を償うシステムを経ても
何も変わらない。

だからこそ、出所しても、
あいかわらず、殺人を犯してしまう。

自分の本質に従い
ありのまま生きることが、
反社会的な行為につながる時、
どうしたらいいのか?という
問いと苦しみが感じられる。

そのどうしようもない自分を、
のろろ様という、
超自然的な神様のような存在に、
存在の是非を問うて
ジャッジしてもらおうする。

そうしてもらわなければ
ならないほど、
自分の存在とは一体なんなのか
という切実な想いがあったに違いない。

人が決めたルールや法律や
論理では、解決できない物事が
あるからこそ、

超自然的な存在が信仰の対象となり、
祭りがなくなることもないのだろう。

なので、この映画は、
祭りという存在が、
観ているうちに勝手に、
凄みを持って浮き上がってくる
とても民俗学的な映画でもある。

論理ですべてが解決できると
錯覚に陥っているような時に、
また観てみようと思う。

by カエレバ