映画 光(大森立嗣監督)感想 (ネタバレ考察)災害で一人だけ生き残った人の孤独と苦難を教えてくれた映画

舞台は、島と都市。

主人公は、
島で殺人を犯した直後、
地震による津波で、
家族や友人を失う。

たまたま高台にいたことで、
助かった3人の子どもの
25年後が描かれる。

今回は
災害で一人だけ生き残った人の
孤独と苦難を教えてくれた映画
「光」について。

三浦しをんさんの原作の映画は、
舟を編むやまほろ駅前を
観たことがある。

両方とも人情に溢れた映画だが、
今作は、だいぶ印象が違う。

作品を支配しているのは、
孤独と否定感、そして暴力。

25年前、
島で殺人を指示した美花(長谷川京子)は、
現在女優として活躍。

島で殺人を犯した信之(井浦新)は、
市役所に勤務。
結婚して、妻と5歳の子どもの
3人で暮らしている。

島で殺人の証拠写真を撮った輔(瑛太)は、
解体業者で働いている。

輔(瑛太)が、殺人の証拠写真で、
他の二人を恐喝しはじめたことで、
事件が起きる。

ここまでは、
恐喝の末に、殺されてしまうという
ある種お決まりのパターンなのだが、

この作品は、根底には
島民がほとんど死んでしまったのに、
自分だけが生き残ってしまったという、
孤独感や疎外感を
主人公たちが抱えている。

生き残ることは
うれしいことや
喜ばしいことのように
思えるけれど、

実際は、そう単純ではなくて、
生き残った人たちは、

なぜ自分だけ
生き残ってしまったのか?

なぜ皆と一緒に死ななかったのか?

本当は、あの場所で、
死んだ方が良かったのではないか?

生きていていいのだろうか?

そういった想いを
抱えて、苦しんでいる姿が
描かれている。

主人公が住んでいる団地は
もうすぐ取り壊される。

恐喝した輔(瑛太)が住む場所も
今にも崩れそうなボロアパート。

近いうちに壊れてしまう場所に
住み続けているのも、
現に破壊されてしまった
島という場所に心が地縛霊のように、
縛り付けられているからだ。

その呪縛から逃れるために、
主人公たちは死んでいく。

主人公が女優になった美花に
「お願いだから死んで」
と言われるシーンがある。

その時、主人公は
「ずっとそう言われるのを
待っていた気がする」と言った。

本当に、このシーンは心が痛い。

きっと主人公は、25年間、
生き残ってよかったね
運がよかったね
と言われ続けてきたはず。

それでも、心のなかでは、
本当は死んだ方がよかったのではないか?
生きていて良かったのだろうか?
という想いから逃れられない。

そのギャップは、
災害を体験した者同士にしか
理解できないことだろうと思う。

輔(瑛太)が、父親を前にして
「どうしてこんなに不機嫌なんだ」
とつぶやくシーンがある。

その言葉も、
あの時、あの場所に縛られて、
身動きがとれないからこそ
出てくる言葉なのだと思う。

そして、自分は縛られているのに、
世の中はどんどん進んでいく。
ギャップは広がっていく。

だからこそ、
あの時、あの場所の
つながりが貴重である一方、
そこに縛り付けられてしまう
理由でもある。

その人たちに、前を向いて
頑張っていきましょう。
だから、タイトルが
「光」なんです。
ということでもない。

主人公の5歳になる子どもが、
何日も家を空けていた。

その間、人を殺していた訳だが
そんなことを全くしらない娘は
帰ってきたパパに向かって

嬉しくて
「パパ、パパ、パパ、パパ、パパ、
パパ、パパ、パパ、パパ、パパ、パパ、
パパ、パパ、パパ、パパ、パパ、パパ、
パパ、パパ、パパ、パパ、パパ、パパ、
パパ、パパ、パパ、パパ・・」
と躍りながら連呼する。

当事者を
あの時、あの場所という地縛から
引き離すことができるのは、

次の世代が持った
パパ、パパと連呼するような
エネルギーなのかもしれない。

そういった強いエネルギーが
今という時になければ、
忘れたくても忘れられない
過去に縛られ続けてしまう。

それでも、今後
生きていかなくちゃならない。

生きるための光は、
子どもが親の帰りを喜ぶような
気持ちであったり、
パワーなのかもしれない。

自分自身、
あの時、あの場所に
とらわれてしまって
身動きが取れなくなってしまう
ことがあれば、

その時の自分を一旦殺して
今のパワーに目を向けさせてくれる
この映画をまた観てみようと思う。

by カエレバ